社長の想い

技術力と人間力が、約1世紀続く企業を支える。

玉野土建株式会社 
代表取締役 磯野 英史 氏

磯野社長の人望

100年続く企業は、どのくらいあるだろうか。帝国データバンクの調査によると、調査件数144万社のなかで1世紀を超えて存在している企業は2万6千社余り。実に1.8%に過ぎない。玉野土建株式会社の創業は、1917(大正6)年。まもなく100周年を迎える企業である。社員数26名。代表取締役は6代目、磯野英史氏。

「数十人規模の建設会社でしたら、オーナーや創業家が代々社長を引き継ぐイメージがあるかもしれませんが、わたしは創業家でもオーナーでもありません。サラリーマン社長です」と謙遜するが、専務以下、年長者に支えられている現実は、磯野社長の人望を物語っているように思われる。

社内の人望だけではない。顧客からの熱い声も磯野社長を支える。「磯野さんが社長になられるなら、ぜひ引き続きお取引を」。全国的にも有名な大企業である同社の顧客から、社長人事の際、そのような言葉をいただくほど。「それにはわたし自身も驚きました」と目を丸くして笑うが、決して順風満帆な船出ではなかったようだ。

崖っぷちからの挑戦

同社の事業内容は建築、土木、不動産、リフォーム。もともとは、創業の地である玉野市において、公共事業を主軸としていた。「玉野市にある学校や官舎など、行政の企画する建物の多くを手掛けていました」といまでも胸を張る。それだけ、自分たちの仕事に自信と誇りが持てる背景には、それによって時代をいささかなりとも支えてきた自負が見て取れる。戦後の復興期から高度成長の時代のことである。

しかし、バブル崩壊後、同社の売上はおよそ3分の1まで落ち込む。公共事業の予算は軒並み削減されているのが、この国の現実である。地元の大手造船会社の工場における仕事も、かつてのような右肩上がりは息を潜めた。どの企業も、設備投資に慎重になっていた。社長交代の人事は、このような経済環境のなかで行われた。

「こんな時代だから赤字でもいい。でも会社を潰すなよ」という4代目社長からの励ましもあり、5代目の代表が退いた後を引き受けた。社長の椅子に座れることを手放しで喜べた就任ではなかった。ある意味、腹をくくる覚悟を伴った。

磯野社長の「改革」

その後は、待ったなしの改革の日々が待ち受けていた。まず着手したのは、給与体系の見直し。「これは、さほど成果を上げませんでした」と苦笑する。それから、実行予算の見直しを行った。実行予算とは、現場単位における収支である。例えば、A社から100万円の工事を受注したとする。その100万円で、どのように現場を納めるのか。人件費はいくら、材料費はいくら、交通費はいくらなどと、着工前に現場責任者が綿密に予算立てを行うのである。

「一昔前でしたら、いわゆるどんぶり勘定です。とにかく現場を納めて、終わってみて儲かった、損をしたということを、感覚でやっていました」。それを、事前に予算化することで、利益率の改善ができたと言う。

「もちろん赤字の現場もありますが、赤字は赤字だと認識できる状態になります。このように『見える化』をすると、現場での動きも変わってきました。例えば、今日一日でこなさなければいけない作業量が自ずと見えるようになって、仕事の効率が上がったように思います」。

「信頼に足る人間であれ」

「もともと、うちの社員はよく働くし、そうしなければ会社が成り立っていかないことを心得ています」と社員に向ける眼差しも温かい。しかし、「いま以上に、技術力には磨きを掛けたい」と事業を支える本質的なところでは向上心を燃やす。

「技術だけではありません。人間的にも、いい人の集団でありたいと思います。礼儀正しく、人を裏切らず、相手のことをまず考えることのできる集団でありたい。荷物が2つあれば、自分は重たい方を持って行きたいと思っている人間ですから」。

同社は近年、戸建て住宅の新築やリフォームにも事業領域を広げている。それは、人のつながりによる受注が糸口になっていると言う。技術力と信頼に足る人間力があれば、建築の仕事は自ずと拡がりを見せる。企業が永続する秘訣を知った気がした。