社長の想い

小規模だからこそ追及できる、味と多種少量の商品展開。

倉敷鉱泉株式会社 
代表取締役 石原 信太郎 氏

ラムネを作り続けて来た倉敷鉱泉

倉敷鉱泉株式会社は、1910年(明治43年)、足守(岡山市北区)にて、清涼飲料水の製造に始まる。1948年(昭和23年)に、三代目・石原潤七郎さんが倉敷に移転し、会社を設立。

そもそもラムネは、1853年にアメリカから黒船で来航したペリーが持ち込んだ炭酸飲料が最初で、レモネードがなまったものらしい。明治時代に本格的に西洋文明が入って来ると、ハイカラな飲み物としてもてはやされた。

今のように大手飲料メーカーの商品が全国どこにでもあるのと違い、各地に多くの飲料会社があり、「○○鉱泉」という名称で、ラムネやサイダー、ジュースなどを製造していたそうだ。やがて大手メーカーの出現や流通の発達により、そうした小規模な飲料会社のほとんどが廃業する。その中でも倉敷鉱泉は、ラムネを作り続けて来た。

苦しい時期を我慢しつつ、家業の存続を模索

1979年(昭和54年)に四代目社長となった石原信義さんは、ペットボトルのラムネを売り出す。しかし、一時は売上げが減り、苦しい時期があった。飲料水だけでなく、お好み焼きソースも作っていたが、地元のお好み焼き店では経営者の老齢化や跡継ぎの不在で閉店するものが多く、需要は減るばかりだったのだ。

マーケティングによる最大公約数の味を大量生産できる大手企業と同じことをするのは無理。だが、小さな会社だからこそ、こだわりの味を小ロットで生産できるのではないか。逆転の発想だった。そこで手がけたのが調味料だ。各種たれ、ドレッシング、ポン酢、めんつゆ、ソースなど、多種少量の商品を開発し、1986年(昭和61年)、こだわり調味料の製造を開始した。

こだわりの味わいで、新たなニーズを開拓

当社の調味料は、自然の素材の持つ甘み、酸味、辛み、苦みなどを大切にしている。こうした素材の味はバランスを取るのが難しいが、それでも素材本来の持ち味を生かすことにこだわる。

丁寧に下ごしらえした素材を用いて、作りあげる調味料。石原さんは、「何でもおいしくする化学調味料の簡便さを悪いものとは考えないが、素材本来の味を消してしまう」としてほとんど用いない。かつて、その店独自の味を地域で消費することは当たり前だった。そのこだわりの味を今度は流通を利用して全国に発信する。

そうして、1991年(平成3年)に倉敷味工房ブランドの販売を開始。県外で展開するに当たり、白壁の蔵が並ぶ人気観光地をイメージさせる倉敷を冠して、「倉敷味工房」と命名した。

商品に価格を合わせるので価格帯はやや高め。ゆえにスーパーマーケットより、県内外のデパートやこだわりの食品を扱う食品店を主な取引先としている。その際、当社から営業に出向くことはない。商品の格別の味わいの評判が静かに広がって、販路を拓くのだ。

定着した感のあるスローライフ、スローフードの動きにもマッチし、高くてもよいものを求める、くらしにゆとりのある人々を中心に好評を博している。

100年企業は未来へ

100年余り続く老舗の五代目・石原信太郎さんは、「覚えやすい名前でしょう」と人なつこい笑顔で言う。学生時代には馬術部に所属し、20代の頃は香港の日系外食産業に勤務したり、沖縄でアルバイトしたりというユニークな経歴の持ち主だ。

2007年(平成19年)に父・信義さんの跡を継ぎ、34歳で社長に就任した。組織構成は昔ながらの自営業の規模によくある、石原家とその親族、そして数名の社員。20~80代、家族的な雰囲気だ。その社員も、「志に燃えて入社」というより、知人から「何か仕事させてやって」と紹介されるケースが多かった。

石原さんは、社員が家を購入する相談を持ちかけると、工務店探しから銀行での資金相談まで同行するという面倒見のよさ。まさに「頼れる兄貴」という存在だ。

「立派なモットーなんてないですよ、当たり前のことを真面目にコツコツする。うちはそれでいいんです」。家族はわざわざモットーなど掲げなくても、自然に結束していて、簡単には解散しない。実際、当社の離職率は驚くほど低いのだ。「倉敷発・おいしくて面白いもの作り」に関わりたいなら、ぜひ扉を叩いてみたい。