社長の想い

会社の存在意義は、かかわりあるすべての人を幸せにすること。

三宅建設株式会社 
代表取締役 三宅 博雄 氏

景気の波に左右されず、安定した業績を誇る

私たちがふだん利用している道路や橋、上下水道…それら多くの建設・保守に、実は三宅建設が関わっている。そのほかにも、河川の護岸や学校の耐震工事、マンションなど建物の建築なども手がけている。

当社の創業は昭和29年(1954)、すでに60年の歴史を持つ。初代・三宅博一さんが、真備町で土木業を経営していた父から独立し、倉敷市で創業。後に息子で現会長の政博さんが受け継ぎ、現在は3代目の博雄さんが社長を務めている。

初代の創業時は、戦後の高度経済成長の始まりで、世は「神武景気」と呼ばれる好景気に沸いた。インフラ整備が盛んに行なわれ、三宅建設にも多くの仕事が舞い込んだ。

それから約30年後、バブル景気とその崩壊、平成21年に誕生した民主党政権は、「コンクリートから人へ」をマニフェストに掲げ、公共工事は減少した。そんな時代の好況・不況に左右されず、安定した業績を保ち続けている三宅建設。その秘密はどこにあるのだろうか。

「倉敷の街を作った」会社

祖父や父の仕事を見ながら育った社長の博雄さんは、子どもの頃から自分も建設業に携わりたいと思っていたという。父と同じ大学の土木工学科で学び、卒業後は当社に入社。平成23年、父の跡を受け、35歳で社長に就任した。

人当たりがよく、語り口も穏やかな博雄さんだが、若くしてベテランから若手まで50人の社員をまとめるだけあって、「この社長なら」という安心と信頼をお客様や取引先、社員から寄せられている。

「祖父の時代は土木業者が少なく、仕事はたくさんありました。当社も民間の造成などから始め、やがて市や県など官公庁からの発注で、道路や橋、用水路、護岸などの工事をするようになったそうです。倉敷駅周辺の地下道、国道2号の高架、瀬戸大橋の橋と道路のジョイント部分、くらしき健康福祉プラザほかさまざまな工事を、当社が手がけました」とのこと。

現在の受注先は、県や市、国土交通省、造船会社や大手ゼネコンなどに拡大し、着実に収益を上げている。仕事の割合としては、「土木5、建築4、水道0.5」といったところだそうだ。

父から息子、孫へと受け継がれる会社の風土

官公庁や大手企業、個人のお客様まで、常に安定した受注を得られるのはなぜだろうか。「同じ価格なら、三宅さんにお願いしたい」と言われるのは、60年間築き上げて来た信頼ゆえだ。当社は業者やお客様から「人のよい会社」と言われている。

「お客様はもちろんですが、同業者や協力業者に対しても出来れば無茶なことは言いたくありません。少しでも安価で良い品質のものをお客様に提供することは大切なことです。当社もそこに最大限の努力をしています。その一方で協力業者に全く利益が出ないような単価で発注したとしても、長続きはしないと思います。お客様、そしてその工事に従事した人が全て幸せな状態になることが、長いスパンで考えれば当社にとって最大の利益をもたらす方法だと考えます。」と、ポリシーを語る。それは、その時は損をしているようでも、繰り返すうちに評価が上がり、結局は得に変じるのだ。

その考えは代々伝わり、そうした経営方針ゆえに信頼され、社内の雰囲気もよく、社員が働きやすい会社になっている。中途採用の社員は知人からの紹介が多いのも特徴。同業者さえも、「この業界で働くなら、三宅さんに行け」と勧めるほどだそうだ。

「50人のスペシャリスト」を育てる

「規模を大きくするより、『実のある会社』にしたいんです。社員一人一人が能力を発揮し、社員もお客様も協力業者の皆さんも、当社にかかわる人には幸せになってほしい」と、博雄さんは目指す会社像を語る。

仕事そのものには、難しく厳しい部分も多々ある。昨今は、多くを経験しないうちに、「業種に向いていない」と、早々に辞めてしまう若者も少なくない。これからも事業を継続するためには、次代を担う20~30代の社員の成長は必須。

「最初のひと夏が肝心。そこを超えると大丈夫です」と博雄さん。一つ一つの現場を経験し、ステップアップすることで、仕事はどんどん面白くなる。当社のキャリアを積んだ社員の定着率のよさが、それを物語っている。「ドアノブの修理から橋やダムの建設まで」、やりがいいっぱいの会社だ。