社長の想い

品質とスピードへの挑戦。分野を超えて想いをカタチにする。

タイメック株式会社 
代表取締役 田中 健裕 氏

試作に特化。驚きの納期スピード

“試作と言えばタイメック”という同社の歴史は、実父の田中裕士氏が27歳の時、自動車板金塗装業として会社を興した1970年に遡る。

「父は、技能オリンピックで全国2位になったほどの腕の良い職人で、いわばハンマーの技術ひとつで会社を始めました」と、語る田中健裕社長。その後、家業は順調に進んでいたが、日本中を揺るがしたオイルショックの時に、大きな事業転換を迎える。

「父親の腕を見込んで、三菱自動車の協力会社から試作板金の声がかかりました。その当時は、開発部品を作れる所はほとんどありませんでした。父親としては、お客様の事故で仕事が舞い込むことに対して、やるせなさを募らせていたので渡りに船だったそうです。本当の意味でのタイメックの歴史は、この時に始まったのではないでしょうか」と語る。

岡山県下初の3次元レーザ加工機の導入をはじめ、試作の納期“最短3日”という驚異的なスピードは、お客様を驚かせ、口コミで仕事が広がっていった。現在では、自動車のみならず、建機や農機、産業機器、モニュメントなど、さまざまな分野での部品の試作、3次元レーザ加工、治具設計製作までを幅広く手がけるモノづくり企業へと成長している。

27歳での試金石。経営者になるための礎に

タイメックは現在、本社工場・吉備工場をはじめ、神奈川に湘南工場、福岡に久留米工場を擁している。

「学生の頃にアメリカへの留学経験など、わりと好きにさせてもらっていたので、父親にはいつか恩返ししたいと思っていました。本家の長男だったこともあり、小さな頃から会社を継ごうと考えていました。もちろん、モノづくりも好きでした」と、入社当時を懐かしそうに話す田中社長。

田中社長が27歳の時に、湘南工場の立ち上げを父親から命じられる。湘南工場は、東芝からの誘いで、大型火力発電用のタービン加工を手がける工場で、脱自動車化を目指すタイメック、社長にとっても大きな試金石だった。

「父親から湘南工場に行けと言われた時は入社2年目、子供も生まれたばかりでしたが、“自分がやるんだ”という使命感から、妻にも相談せずに二つ返事で受けてしまったので、後で怒られましたよ」と苦笑いする。

機械や部品の選定から発注、飛び込みの新規顧客開拓、人材の採用・育成まで、資金繰り以外はすべて自分でやったと言う。ひとつの工場を任され、さまざまな経験や苦労が経営者になるための通過点になった。

社員の想いをひとつに

2009年、湘南工場での勤務10年を経た後、会社を引き継ぐために本社に呼び戻される。リーマンショックの影響で、経営の立て直しや将来ビジョンを画策する時期と重なった。

「社長になるための心の準備体操、助走距離が全くなかったので、最初は何から始めればいいのかわかりませんでした」と振り返る。最初に取り組んだのが経営理念づくり。「社是はもともとあったのですが、経営理念が存在していませんでした。自分たちは何のために働いているのか。働く想いや価値観をひとつにしたかった」と続ける。

また、試作という固有技術の高揚を目指すと同時に、環境整備にも力を注いだ。例えば、その場所やモノ全体ではなく、新聞紙1枚分程度のスペース単位で徹底的に磨いたり、誰が使っても決められた位置に戻せるような収納やラベルに工夫したり…、「5S」と「見える化」を徹底して会社に浸透させていく。

「毎日、朝礼後に全社員で清掃や整理整頓、その日にやるべきことがきめ細かくスケジュールに組み込まれています。そうすることで何が変わってくるかと言うと、自分で気づけるようになるのです。やり始めた頃と比べると、社員の意識や行動も目に見えて変わっていきました」と、田中社長。

作業効率が改善されると同時に、社員たちの想いもひとつになり、新生タイメックが動き始めた。

幸福にするために会社は存在する

「CS(顧客満足)が先か、ES(従業員満足)が先か、議論は分かれると思いますが、わたし自身は、ESが先というのが持論です。会社というのは、社員やその家族を幸せにするためにあるのだと考えています。

社員たちには気づけることができる人間になって欲しいと思っています。気づくことができるようになったら、おもてなしや感謝ができるようになります。それが最終的に、顧客満足や地域貢献へつながっていくのです。

また、社員が結婚して子供が生まれたら、その子供に“うちは素晴らしい会社だよ”と自慢できる会社、そして将来、その子供に“ぜひここで働きたい”と言ってもらえる会社にしていくのが夢ですね」と、その眼差しは優しい。

昨今、10歳を迎えたことを記念する行事“2分の1成人式”というものがある。社長自身、一番下の子供の式に出席した時に、作文で将来の夢を“スポーツ選手や学者になりたい”と子供の多くが書いた中、息子だけが“お父さんの後を継ぎたい”と書いたとのこと。「将来、証拠の品として大切に取っておきますよ」と目を細める。

世の中や技術は変わっても、想いは引き継がれていくもの。そんな想いがタイメックの明日を支えていくに違いない。