社長の想い

若い感性と学ぶ姿勢で老舗企業を現代へと受け継ぐ。

岡山薬品工業株式会社 
代表取締役 諏訪 智彦 氏

堅実、柔軟に薬品・害虫駆除のニーズに対応

取材当日、オフィスを訪ねると、ドアを開けると同時に社員の方達がさっと立ち上がり、出迎えてくださった。こちらも思わず笑顔になる。岡山薬品工業は2017年で創業70周年。岡山県内を商圏とし、試験薬品や工業薬品、理化学機器の小売りと害虫駆除を2本柱とする息の長い会社である。事務スタッフ、営業スタッフ、害虫駆除の担当スタッフを率いるのは5代目の若き社長・諏訪智彦氏だ。

社長曰く、「今日まで会社が継続してこられたのは、身の丈に合った会社を作り、地域に根ざして身の丈に合った商圏で商売をしてきたから」。試験薬品および工業薬品、また実験で使われる理化学機器を、水道局や保健所などの官公庁関連施設、大学や民間企業の研究室、病院、工場などに納入し、営業スタッフがきめ細かくサポートしている。害虫駆除も、個人宅、施設問わず、依頼は絶えない。

仕事以外でも、年に一度の社員旅行や地域のイベント、ランチミーティングなどを通じて社員間のコミュニケーションがとれるようになってきた。というのも、諏訪社長は若干26歳で会社を引き継いでから今日まで、ハード面、ソフト面の両面で会社の改革に取り組んできたのだ。

社員が変わることで業績が好転していった

引き継いだ当時の業績はお世辞にも良いと言えるものではなかったが、社長就任から6年間で営業利益をプラスに転換。財務内容も改善され、お得意様にも「岡薬さん、変わったね」と言ってもらえるようになった。社員も八割方、新メンバーに変わり、挨拶や職場でのやり取り、お客様に対する接遇マナーが自然とよくなっていった。

「社員同士が顔を合わし、話し合いができる機会を増やしました。月に1回、全体会議を開き、朝礼では、提案や情報などをなるべく社員から発信する機会を作っています。また、性別・学歴・役職に関係なく、互いの発言を尊重し受け入れる社風づくりを重視しています。時間はかかりましたが、だんだん定着しつつあります」

落ち着いた物腰で、笑いを交えながら振り返る諏訪社長だが、事業を引き継いだのは26歳の時。紆余曲折の末、後継者選びに苦慮し、創業者の孫である諏訪青年に声がかかった。大阪の大学を卒業し、大手人材紹介会社に就職して1年しか経っていない時だった。

経験ゼロから70年の長寿企業を再生

諏訪社長が入社してから引継ぎに要した期間は、わずか1年3か月。若く、薬品に関しては素人の青年社長就任に、仕事でお世話になっていた金融機関もメーカーも、一番は社員が度肝を抜かれたという。右も左もわからない状態だったからこそ、素直に、必死で仕事に取り組んだ。

「まずは、現状把握。この会社が一体何をしているのかを自分なりに理解するため、社内の声を聴き、社員の間に不満がたまっていたので、どこに問題があるのかを精査しました。最初の3年間は情報も人脈もまったくなかったので、殻にこもっていましたね」

地道に社内改革の方法を模索するうち、少しずつ変化が現れた。
「就任直後は、仕事を教えてもらおうと営業に同行したり、つきっきりだったりしたので、社員たちは、今までとは違うぞと感じていたようです。私のやり方に不満を持って辞めていった者もいます。それでも少しずつ改革していって、社内が変わってきたと感じたのはごく最近ですね」

創業から70周年を迎えた今年、2017年が「再創業元年」。Reborn=再起の年ととらえ、3年後5年後10年後をどう見据えて行動に移すか、社員全員で考えていこうとしている。ここに来てようやく再生への取り組みが実り始めたのだ。

社員全員の力で地域に貢献できる仕事を

話を伺っていると、組織を変えるには、年齢ではなく「考え方」がいかに大切かがわかる。諏訪社長が組織運営で心がけていることは、「経営者仲間、お客様、社員、だれからも同じ気持ちでさまざまな意見を聞くこと」。そして「自分自身で経験し、痛みも感じて、そこから得たものを発信すること」。社員が働きやすくなるように、また自分の勉強のためにも、常に柔軟であることを大切にしている。

地域に根差して70周年を迎えられたことに感謝し、地元農家と協力した記念事業も企画・運営している。本業を軸にしながら、必要とされれば営業力や販促力を生かして岡山を元気にできる活動にも取り組んでいくつもりだ。

第二次大戦後、京都の大学で学んだ祖父が志を立て、薬品を販売したところから始まった岡山薬品工業。幾度も存続の危機を乗り越え、地域の信頼を得て、今、真摯に気負わず、時代に即した新しい視点で「老舗」が受け継がれていく。事業を継ぐとは夢にも思わなかった諏訪社長だが、祖父の想いはしっかりと引き継いでいる。

岡山薬品工業株式会社