社長の想い

80年の歴史を礎に地域の未来を支え続ける土木建築のプロ集団。

株式会社 和田組 
代表取締役 和田 一朗 氏

水島工業地帯の発展を支えた80年

和田組の歴史はずいぶん古い。土木技師だった現社長・和田一朗さんの祖父が昭和12年に創業し、間もなく、かねてから付き合いの深かった産業機器メーカーの施設建設を任されるように。その後も戦後の高度成長の波に乗って、事業は順調に拡大。臨海鉄道の建設チームにも加わり、半農半漁だった水島地域の一大工業地帯への成長を支えてきた。

臨海鉄道建設に携わった主な業者は和田組以外にも4社あったが、そのうち今も存続している企業は2社のみ。厳しい企業競争の中で和田組がこうしてたくましく生き残ってこられたのは、総合建設業として、土木・建築、官・民に偏ることなく、総合的な事業展開を図ってきたことも大きな一因だったろう。

規模の大きさがゆえ実入りも豊かな公共事業は、なくてはならない存在に違いない。けれどそれに頼り切っては、企業運営自体が自治体の財政状況や方針に左右されてしまう。官・民バランスよく請け負うことで、時代の波をしなやかに乗りこなしてきたのだ。

社史最大の危機を救った地元の仲間

しかし和田組にとって、民間受注の存在の大きさを痛感させられたのは、財政緊縮時だけではなかった。

実はここ和田組は、平成22年に実施された倉敷市の下水管埋設工事をめぐる談合事件で、岡山地検に検挙された3社のうちの1社。今思えばあの事件には、業界の悪しき慣習や同業からの嫉妬などさまざまな背景が絡み合っていたようにも思えるが、それでも6カ月の指名停止という大きな処分を受けた事実は変わらない。その後しばらくは民間営業を自粛し、取引銀行からの融資も受けられなくなった。それまで8億規模の事業を動かしてきた同社は、会社存続も危ぶまれる事態に陥った。

しかしそんな時にも救いの手を差し伸べてくれる相手がいた。それまで長く取引を続けてきた、いくつかの地元の民間企業だ。行政処分があけると、何事もなかったかのように仕事の依頼をくれ、同社最大の危機から救い出してくれたのだ。さらに心強かったのは、そんな状況にあってもただの一人として退職者がでなかったことだ。

「大丈夫です。頑張りましょう」――。

社員たちの激励の言葉が、これほど胸に響いたことはない。何もかもが思い通りに、いや、思った以上に順調に進みすぎた過去。しかしそれは決して会社や経営者の力によるものではなく、地道に支え続けてきてくれた社員たちの努力の賜物であることを思い知らされた。

未来を創るモノづくりの面白さ

それから5年の時が立ち、周囲の助けを支えに、新たな未来を描けるまでに回復した和田組。和田社長は今、モノづくりの喜びを共有できる環境づくりに懸命に取り組もうとしている。

「土木や建設は、街を作り、地域経済を支え動かす地域インフラの構築であると同時に、壮大なモノづくりでもあります。時間のかかる仕事がゆえに苦労もありますが、その先にはほかでは決して味わうことのできないやりがいや面白さがあるんです。けれど、ただ右から左へ流すだけの仕事では、この仕事の素晴らしさに気付くことはできない。社員たちにもっと楽しく取り組んでもらうために、その面白さをしっかり伝えたいと思っているんです」。

取引先の企業成長を支え導く喜び

月に2回は役職者会議を、月に1度は全社会議を開催。単なる業務連絡ではなく、モノづくりの感動を伝える機会としてその時間を設けているそうだ。そしてその際、社長がよく取り上げるのが「金剛組」の存在だ。

金剛組は、世界最古の企業としても知られる大阪の建設会社。主に神社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を手がけ、経営権が大手建設会社に移った後も、伝統的な建築技術を強みとする宮大工集団として、今なおその歴史を紡ぎ続けている。

「寺社仏閣であれ、企業の施設であれ、一つの施設が建設されるには膨大な費用と時間がかかります。我々が手がける建築物は、顧客となる企業にとってその先数十年にわたる事業計画を推進するための重要な拠点であり、企業成長の根幹でもある。そんな仕事を手がけられる職種は、そう多くない。未来につながるモノづくりの醍醐味が、この仕事には息づいているんです」。

同社が紡いできた80年の歴史は、578年創業の金剛組に比すればまだまだ短い。これまでを支えてきてくれた仲間に、新たな人材がくわわることで、この先の未来をどう描きだせるかーー。和田社長の目は、まるで無限の可能性を秘めた子どものように輝きに満ちていた。